消防士火神君と保育士黒子先生(電話編)3

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『あ……火神すけど……、……電話、どうも……』
 スピーカーの向こうから聴こえてきた火神さんの声は、低くてぶっきらぼうで、いつも園で会うときの爽やかで明るい様子とは別人みたいだった。
 ……え……、火神さん、怒ってる……!?
 ドキリとして身体が固まる。
「あ……、はい……」
 何を言ってるのかわからないまま返事をして、頭の中ではほとんどパニックだ。
 考えてみたら、電話に出たときから火神さんの声は急いでるみたいだった。もしかしたら、ほんとに仕事中だったのかも。忙しいときに電話をかけたから怒ってるのかな。
 そのあとボクの名前を呼んだ声が急に低いトーンに変わったから、他の誰かの電話を待ってたのかもしれない。思ってた相手と違って、がっかりしたとか。
 それとも、もしかしたら一週間も経って今さら電話がかかってきて困ってるのかも。
 この一週間、彼が送り迎えに来たときには、ボクはわざとひとりにならないようにしてた。自分でも話しかけないでくださいっていうオーラが出てたと思う。
 だって、火神さんの前でどんな顔をしたらいいかわからなくて……自分でもどうしようもなかった。だけど、彼にしてみたら、そんなボクの態度はすごく感じが悪かったに違いない。
 いろんな想像が、一瞬で頭の中を駆け巡る。完全に容量オーバーで、パンク状態だ。
「し、仕事中だったんですか? すみません、お忙しいときに……あの、あとでかけ直しますね」
 緊張しすぎて頭に血がのぼって、とにかく通話を切ってしまってから落ち着いて考えたいって、それしか思いつかなくて、そう言った。
 だって耳元で響く火神さんの声は、いつも会って話してるときとは違って距離が近すぎて……、どうして彼の声はこんなに男らしくて、セクシーで、いい声なんだろう?
 まるで彼がボクの耳元にくちびるを寄せて……そう思ったところで、彼のあの、セクシーで幅広のくちびると大きな口を開けてニカッと笑う顔を思い出して、頬を火照らせる。
『は? あ、いや、大丈夫すよ……ちょうどトモダチと飲みに来てるんで』
 火神さんがハハ、と困った声で笑う。
 そう言われたらもう、『友達と遊んでいるところを邪魔してしまったんだ、早く切り上げなくちゃ』としか思えなくなる。
「そうなんですね。ボクも今ちょうど飲みに来てるんです」
『へぇ、』
 ホラ、火神さんの返事はどこか上の空だ。
 彼が何か言おうとしたのに、ボクは言葉が止められずに、間を埋めるように急いで続けた。
「電話も、ボクじゃなくて、その彼が間違えて掛けちゃって……」
『彼……?』
 訝し気に繰り返した火神さんの低い声にまたびくっとした。そうだ、火神さんはこっちの状況がわからないんだから、ボクが幼馴染の青峰君と一緒にいることもわかるわけがない。
 自分のバカさ加減がおかしくなって、苦笑いしながら、
「あ、青峰君です。一緒にいるんです。だからその、すみません、こんな時間に……」
 謝ったボクに、電話の向こうで、短い沈黙が続く。
 返事もしてくれないなんて、やっぱり怒ってるのかな、そう思ったボクはドキドキして心臓が口から飛び出そうだった。
 すごい勢いで血管を血が巡ってる。ジンジンする耳はほとんど聞こえなくて、横から「おい、テツ」って突っ込んでくる青峰君の言葉も素通りしていく。目の前がチカチカして視界が狭くなって、彼が顔をしかめ、しきりに手を振って何かを知らせようとしてるらしいのも、意味が理解できない。
『……は?』
 火神さんがようやく短く答えた。答えたというか……言葉でもない、呆れた声音、意味のないサウンドだけの返事だった。
 それでも彼がボクの会話に呆れてるのだけはわかって、一気に恥ずかしくなった。
 ひとりでペラペラしゃべって、火神さんにしてみたら、ボクが誰と一緒でも関係ないに違いないのに……。
 うっと胸が詰まって涙が込み上げてくる。
『マジで今、相手いねーんなら、オレに声かけてください』
 メモのメッセージの『相手』を恋人っていう意味だと思い込んでたけど、映画に行く友達っていう意味だったのかもしれない。きっと、トモダチのいなさそうなボクを可哀想に思ってくれたんだ。
 そんな火神さんの同情を、デートの誘いだと勘違いして、ひとりで一週間も悩んで、バカみたいだ。彼みたいにモテる人が、間違ってもボクをそういう意味で誘ってくれるわけがないのに。
「あ、すみません、ひとりでペラペラと……お友達待ってますよね。ボクも彼が待ってるので、ま、またお迎えのときにでも」
 わざと青峰君の存在を強調したのは、ボクにもちゃんと友達がいますよ、ぼっちの可哀想なヤツじゃないから、同情しないでください、というアピールだったけど、わざとらしかったかな。
『…………はぁ』
「お、おやすみなさい」
 火神さんはまたしばらく黙り込んだあとで、すごく困ったような、ぎこちない声で答えた。
 ボクはもっと恥ずかしくなって、あとはもうただ逃げることしか考えられない。目の前でバタバタ暴れてる青峰君が、ボクの手からスマホを奪おうと手を伸ばしてくるのを必死で避けながら、急いで挨拶をして電話を切る。
「……テツ!? 何してんだテメェ!?」
 呆れた声で青峰君が叫んだけど、ボクのほうは通話中に泣き出さなかっただけで褒めてほしい気分だった。
 こらえてた涙がどっとあふれて、ボロボロ泣きながらテーブルに両腕を載せ顔を埋める。
「う……っ、うううう〜……っ」
 訳がわからなくて、頭の中がぐちゃぐちゃだった。胸が重苦しくて、息が詰まりそうになる。
 本当に、ボクはいったい何をしてるんだろう。
 せっかく火神さんと電話できたのに、うまく話せなかった自分が情けない。
 友達と遊んでる火神さんの邪魔をして、ひとりでペラペラしゃべって、勝手に切って。
 最初は何か言おうとしてた火神さんの言葉を遮って、全然聞かなかった。最後は、彼も完全に呆れてたじゃないか。
 最初から最後まで、独り相撲だ。ただ電話をするだけのことがうまくできないなんて、情けなくて、恥ずかしい。
 好きな人と電話なんてしたことがないし……というより、今まで好きになった人がいなかったし……緊張で頭に血がのぼって、本当にどうしたらいいかわからなかったんだ。
 でも、火神さんはモテるからきっと経験豊富で、バカなボクがおかしくて、今ごろ友達と笑ってるかもしれない。いや、いくらボクがバカでも、彼はそんないじわるな人じゃない。
 ぐすん、と鼻をすすって、あんなバカな真似をするくらいだったら、黙ってたほうがずっとマシだったと思った。そうしたら、せめて火神さんが何を言おうとしたかは聞けたのに。
「ぼ、ボク……どうしてこんな……バカなんでしょう……っ」
 突っ伏したまま、ぐずぐず湿った声でつぶやいたら、青峰君は盛大にため息をついて、心底呆れた、という調子で同意してくれた。
「……ああ……今回だけはマジで呆れたぜ……」
 そばで聞いてた青峰君がそう言うってことは、冷静に見てもやっぱり変な態度だったんだ。そう思った途端、またぶわっと涙があふれた。
 まるで子どもみたいに声を上げて泣き出したボクの頭を、青峰君がぐしゃぐしゃにかき回した。



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